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- 石橋郷(中世)とは
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石橋郷(中世) 平安末期~鎌倉期に見える郷名下総国印東荘のうち久寿年間頃と推定される印東荘郷司村司交名に「石橋 苅田成家」とある(醍醐寺本醍醐雑事記裏文書/平遺4750)当時印東荘下司であった平常澄の下,苅田氏が郷司として在地支配に当たったものと推測される鎌倉期には,金沢文庫所蔵「倶舎論宗要集」の正嘉元年12月4日付奥書に「於下総国印東庄石橋郷書之」と見える(県史料県外)江戸初期に上・下2郷に分かれたと思われ(印旛郡誌),現在の酒々井【しすい】町上岩橋・下岩橋付近に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石橋郷(中世) 室町期に見える郷名添上郡のうち「多聞院日記」文明10年8月14日条に「八条云,石橋郷ハ八条之末郷ナル故ニ,無彼郷上者,半分可居由緒アリト云也」とあって,辰市八条郷の末郷として八条郷・東九条郷などとともに大安寺八幡祭の運営に与ったが,文明年間にはすでに廃滅していたという現在の奈良市八条町付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」